押し引き増幅器
あえて押し引き増幅器などと申しましたが、巷でいうプッシュプルアンプの事でござ
います。
押して引くなどと聞きますれば、ひとり鋸歯が行たり来たりしているように聞こえま
すが、アンプでいう押して引くと言っておるのはいわばシーソーのようなもので、相
手の蹴り上げた力で此方が下がれば、此方も蹴り上げて相手を下げ再び相手に蹴り上
げて貰うようなことを言っているのでございます。
元々アンプは自分ひとりで鋸をひくように押して引いていたのでした。
賢い御仁が端から眺めて気がつかれたのでしょう、ふたり居れば互いに押し合うだけ
で引く必要は無いのではないかと‥‥。
確かに自転車のペダルは両の脚でもって踏むだけで前へ進みますが踏んでいるだけ
で引いたりはいたしません。
片脚で自転車を漕いで走るのは考えてだけで骨が折れると誰しも思うのでございます。
しかしアンプは糸車や石臼のように一本の腕でくるくる回して動くものでして、片脚では
漕ぎづらい自転車ではございません。
ふたりで踏ませますと引く力が要らない分、楽をさせてやれるのですが、その分二倍の力で押させるようにさせたのが味噌でございます。
引かなくて良いから二倍の力で押させることにして、ふたりでさせるようにいたしま
すと、都合四倍の力とあいなるわけです。
この発明は一本の真空管で押し引きさせていたのではトーキー映画には力不足になっ
たことから生まれたのですが、ウサギ小屋と揶揄される狭い日本の住環境では二本の
真空管に押し引きさせなくとも充分な量なのです。
旅館の大広間のような居間にお住まいの方には申しませんが、市井の市民には押し引き増幅器は過ぎたるはなんとかではないかだと思ったりするわけでございます。
なによりふたりでひとつの仕事をさせますので、息が合わない事が露わになったりい
たします。
数値は高いものが得られますが、音楽性を求めるとなかなか難しいものがあるのが押
し引き増幅器でございます。
人間には都合がそれぞれにございまして同じ事をしても感じるものが違ったりしま
す。
同じ仕事を同じようにしていてもです、一方には照りつける西日が差し、もう一方は
日陰の上に窓から風も抜ける夏場の仕事上がりなれば「一緒だね」とはならんと思う
わけでございます。
逆に何から何までそっくりだと、突っかかる所や気に入らない所が一緒ですので、す
ぐに「やってられないな」となるのではないでしょうか。
人の琴線に触れるような音質はひとりで押し引きするシングルアンプに歩があるので
ございます。
と言いながらも、自慢の出来るプッシュプルアンプができますと言うとシングルアン
プも良いのですが、此方もなかなかのものでございますとやはり言うことにしているのです。