〈現代アンプ私論⑧〉 「アナログレコードとデジタルディスク」

CDにはアナログレコードにあった再生に都合の良い事情がありません。

マスターテープからAD変換したものやマイクロフォン以降をすべてデジタルプロセス化したものは収録マイクロフォンの無反応域が露わになっているために、CDプレーヤーとトランジスターアンプで再生するとグラウンド干渉歪みが加わり固くて平面的な鳴りかたを味わう結果になります。

アナログレコードの良さは真空管アンプドライブカッティングマシンによるマイクロフォンの無反応域の補償に加えて、アナログレコード自体が抱えている事情にあるのです。
左右チャンネル分離の不完全さは「色の白さは七難隠す」ではありませんがグラウンド干渉歪みを目立たせないばかりか、左右チャンネルの信号干渉によるモノーラルレコードのような奥行き感までも感じさせてくれる良さにあります。

このような切り口をするとアナログレコード礼賛だと思われては困るのですが、CDの良さとアナログレコードの良さは違うものであると理解していただきたいのです。

アナログレコードの良さは製品化プロセスの都合による「音色」の良さであり、モノーラルっぽさによる奥行き表現なのです。
CDの良さは左右の信号分離の良さとグラウンド分離で得られる演奏空間の再現にあると言ってよいでしょう。
それぞれに良さとその根拠があるものだとします。
オーディオに良く見られるデジタル/アナログや真空管/トランジスターなどという二者択一的な論調がいつも浅薄な根拠に基づくように感じるのですが、拙もまたそのような論調になっているとのご批判もあると思いますので次に進めます。

グラウンド分離はCDの再生のみならず、アナログレコードの再生にデュアルモノーラルフォノイコライザーアンプを使うと異次元の奥行きが味わえることから左右チャンネルの分離が不完全であってもグラウンドの分離は有効な技術だと思います。
フォノイコライザーアンプの増幅回路はmVオーダーの微小電圧の増幅を行うため、スピーカー駆動電圧までさらに増幅させるとCDの再生よりも左右アースの分離効果が効いてくると考えられます。

デュアルモノーラル真空管アンプを用いた再生がアナログレコード、CDソフト共に有効であるのは拙論で記した通りですが、付け加えるとトランジスターアンプも設計次第で音楽性の確保ができます。

弊社の真空管ハイブリッドアンプ回路にはスピーカーの過制動を抑える工夫を施しております。
トランジスターアンプの特徴である「駆動力」を緩めてしまうことから設計試作時に一寸悩んだ部分ですが、音楽を聴けば結果の正しさがわかります。
真空管アンプでカッティングマシンを駆動したアナログレコードだけは「駆動力」が高めのトランジスターアンプでも鳴りますが、それ以降のプロセスで作られたアナログレコードやデジタルディスクの再生には真空管アンプでの再生或いは「過制動」を抑えたトランジスターアンプに分があります。

デュアルモノーラルフォノイコライザーアンプとデュアルコアD/Aコンバータの良さは実際に聴いていただければ多くの方に納得していただけるので試聴依頼を待つこととします。

〈現代アンプ私論⑦〉 「オリジナル原盤信仰」

「アナログレコードはオリジナル原盤でなければ本当の音がしない」とよく聞きます。
思い込みによるオリジナル原盤信仰ではと思っていましたが、マイクロフォンの無反応域から考えてみるとおそらく何らかの補償動作があると思いなおしました。

モノーラルレコードと真空管アンプ時代からステレオレコードとトランジスターアンプ時代に変わって左右チャンネルの信号干渉を内包するようになりましたが、ステレオレコード自身もまた年を追う毎に変わって行ったように感じます。

トランジスターアンプは出力インピーダンスが真空管アンプと比べて極端に低く設計出来るためスピーカーのボイスコイルを疑似ショートし、振動板の残留動作を抑え込めるようになりました。
スピーカーから付帯音を出させないアンプの動作、能力はそこだけに焦点を当てれば「素晴らしい駆動力」を持つアンプですが、結果的にマイクロフォンの無反応域を露呈する結果を招きます。
結果的に無反応域の補償がないと音質が劣化すると先に記しましたが、アナログレコードを音源にすればそれなりの評価を得ていました。

アナログレコード盤という音源にはスピーカーの自己動作と同じように音溝にカッターヘッドの自己動作が刻まれていたのです。
レコードの溝は機械的に刻み込むため、カッティングマシンのカッターヘッドの自己動作が盤面に残ってしまいます。
カッターヘッドの残留動作がマイクロフォンの捉えきれなかった微細な無反応域を補っていたのです。
トランジスターアンプが普及する頃にはレコードカッティングマシンのカッターヘッドドライブアンプは真空管アンプが担っていたのでマイクロフォンの無反応域の補償をレコードの盤面に自己動作による痕跡で補っていたのです。

その後開発された新しいレコーディングカッターヘッドは付帯音を出さないように自己動作を制御する改善がカッターヘッドやドライブアンプになされてきました。
真空管アンプが担っていたカッターヘッドのドライブアンプが付帯音を出させないトランジスターアンプに変わるとレコード盤面を拡大した写真が載っていたように思います。
新しいカッティングマシンでは無信号時にまったく自己動作の痕跡を刻まない様子が写し出されていたように思うのです。

音楽信号とカッターヘッドだけの関係だけに目を向ければ正しい「進化」ですが、そうして作られたアナログレコードを「駆動力」のあるトランジスターアンプで聴くとマイクロフォンの無反応域が露呈して固い音がしました。

昔のカッティングマシンはマイクロフォンの無反応域をカッターヘッドの自己動作で補っていたためにオリジナル原盤は今も心地良い音がし、再発盤は自己動作を制御してしまったためにどこか詰まったような音がするのです。

マイクロフォンの無反応域をどう心地良く聴かせるかがオーディオの進化と衰退のキーワードなのです。

カッターヘッドやスピーカーの自己動作による補償が排除されたデジタルディスクについてを事項に記します。

〈現代アンプ私論⑥〉 「音にならない音楽」

無反応域というものがあります。

音量が半分ならマイクロフォンが収録する信号レベルも半分になります。
更に音量が半分になると信号レベルもその半分になります。
そうして更に半分、また半分と少なくして行くとあるレベルから信号変換出来なくなってしまいます。

それが無反応域です。

マイクロフォンの振動板質量以下の音圧になるとほとんど動かなくなり、弱音部の途中で無音になってしまいます。

スピーカーも微弱信号では反応しなくなりますが、ここでは信号が途切れた振動板の挙動にスポットを当てます。
スピーカーの振動板はマイクロフォンの振動板と比べると桁違いに大きな質量を持っています。
一旦前後に動いた振動板は自らの質量のために信号がなくなっても動き続ける自己動作をします。
アンプからの音楽信号とは無関係な音のために「付帯音」と呼ばれますが、マイクロフォンで拾えない無音部分を補っているのです。

マイクロフォンの無反応域を結果的に補っているとすると今まで「駄目」とされてきたものの別の面が見えてきます。

①スピーカーの付帯音は絶対悪ではなくプラスにもマイナスにも働く不確定なものであること。
②プラスに働く場合はアンプの制御力が高いと自己振動を抑え込んで固い音になること。
③スピーカーの自己振動による「音色」はスピーカーの音質を左右すること
などが見えてくるように思うのです。

オーディオに於いて音楽を語る事とは演奏の音をマイクロフォンが音楽信号に変換したものを用いて「演奏による感動の再現」をすることです。
ミキサーや録音機を用いてまとめ上げたものを更にメディアに落とし込んだものであることを検証しないまま、そのソフトを使ってオーディオ機器を評価していてはおおよそ的外れになってしまいます。

マイクロフォンの無反応域がもたらす現象について続けます。

「MODEL37Ⅱ」「MODEL45」を風信子亭に納品しました。

京都木屋町三条東入るタカセビル2F 名曲喫茶「風信子亭」に真空管ハイブリッドプリメインアンプ「MODEL37Ⅱ」とデュアルコアD/Aコンバータ「MODEL45」を納品しました。
マスターの希望で両機共にLEDにピュアグリーンカラーを採用しています。

画像ブログ用風信子亭納品 00901

金メッキを施した両面ガラスエポキシ基板材の薄緑色越しに光るグリーンがなんとも言えない雰囲気を醸し出しています。

「風信子亭」さまのソフトは益々充実しています。
棚の下のほうにあるソフト類を座ってゆっくり見れるようにとベンチも用意されていました。


画像ブログ用風信子亭納品 01102

ヴィチスラフ・カガン-パレイ=スラヴァの「ave maria」を持参して聴かせていただきました。
時折無性に聴きたくなるカッチーニの「ave maria 」で始まるCDからスラヴァの歌声が響きわたるとカウンターテナーやカストラートに纏わるマスターの講義!?が始まりました。
音楽に関わる造詣の深さにとどまらず、映画、アニメーションにまでにおよぶ話題の守備範囲の広さに思わず時間を忘れて聞き入ってしまいました。

収集されているすばらしい音楽ソフトや選んでいただいたオーディオ機器よりもマスターの人柄やその見識こそが「風信子亭」の魅力ではないかと感じてしまいました。
もっと多くの方に「風信子亭」の魅力を感じていただきたいと思いました。
チュートリアルでは勿体ない時間に感謝して帰ったのでした。

画像ブログ用風信子亭納品 00403

なかなかの雰囲気だと帰り際にも写してしまいました。
拙は下手ながら某写生会に属しておったのですが、色彩が感情に及ぼす力に考えさせられたのでした。
是非お立ち寄りください。
音楽に限らず色々なことを感じさせて頂けるものと思います。

〈現代アンプ私論⑤〉 「性差から見たオーディオ」

「音」の再生規格が、高規格、低歪みになっても左右のグラウンドが共通である以上グラウンド干渉歪が付きまとうために違和感は拭うことはできません。
グラウンド干渉を抱えている「音」が聴こえてしまうと「音」の分析に終始してしまいます。
再生される音がそっくりであればあるほど違和感を感じることになるのです。

人は人とすれ違っても日常のことであれば特に何も感じませんが、全く動かない人を見ると立ち止まって見てしまいます。
細部までそっくりにできた蝋人形やパフォーマンスで作り物のように動かずにいる人がいると近寄って観察してしまうのとおなじ働きが不自然さへの対処行動として起きるのです。

特に男性は他の男より優れていることを示す傾向が生来強いため「音」の解析が必要な場面に遭遇するとより微細な部分まで解析できることを誇ろうとします。
雄は雌を得るために他の雄より立派であることを示すパフォーマンスをするものですし、男は権威のある側に認められようとする社会的心理も働く生き物なので、どんな些細な場面であっても他者より優れていようとしてしまうのです。

女性のオーディオマニアが少ない理由もそのあたりに起因すると考えられます。
彼女達は人の作り物や不自然なものへの関心が薄いため実際の演奏会や生身のアイドルほどには機械やオーディオに関心を持たない傾向が強いように思うのです。
車や家電品など便利ものは男性同様に使いますが、そのもののスペックやパフォーマンスの優劣には男性ほど関心がありません。
自分が使う道具として十分であれば納得できる女性に対して、使いこなせないような潜在的なパフォーマンスに惚れてしまう男性にオーディオは相性の良い相手なのです。

オーディオを「音」の解析力披露の場と捉えてしまうと音楽や自然さは二の次、三の次になってしまい、「音の切れ味が」とか「低域のしまり具合が」などとおおよそ音楽の片隅をつつくような話しに終始してしまいます。
自分の能力を互いに自慢しあうのは雄ばかりのためにオーディオマニアには女性がいないのです。
女性の方が自然、不自然に対する感覚に優れており、理屈と社会的な自分の立ち位置が納得できないと落ち着けない男性と違って物事を総合的に判断できる能力があるのだと思っております。

スペックに関心を持つ男性ゆえの反応なのか、現在放送中の1080pを超える4K、8Kの映像規格が数値通りのパフォーマンスを持っているとの連想から現行のCD規格より数値が上がれば高音質になると思い込んでいるような論調を感じます。
ハイサンプリングによる不可聴帯域の再生の持つ意味は、映像規格に当てはめると、液晶の背面照明に紫外線や赤外線という人の目には見えない不可視帯域の光を加えるようなものです。
超音波が人の耳にどのような影響があるのかは浅学な拙にはわかりませんが、高規格映像機器からは目に悪いものは出ないようになっているはずです。

人生を楽しむための道具を他者に差をつけるために使ってしまう悲しさを抱えているのが男性ではないかと思うと違和感を感じることの無い機器を使って素直に音楽を楽しんでいただければと願ってしまうのです。
検索フォーム
リンク


QRコード
QRコード