自粛ムード

ここひと月半何かと大震災と東電の人災の事ばかりが浮かんで仕方ありません。

しかし同情による自粛ムードは被災された方の復興の力にはならないと思います。

いろいろなイベントや競技会までが中止となりましたが、震災の不幸に向き合っていないと見られるのが嫌だと思われたのでしょう。
確かに衝撃的な映像を見てしまった頃は致し方ないと思いましたが、被災していないこちら側までがいつまでも自粛していては経済活動が萎縮するばかりです。

昔のTVドラマではありませんが、「同情するならカネをくれ」です。イベントの収益の一部を義援金としたり、競技会での募金活動を行うの事の方が力になるように思うのです。
そして直接の募金もさることながら、日々の経済活動の活性化こそが経済の血液と呼ばれるお金の流通を良くして復興の下支えになると思うのです。
守りに入っても災害にいつ襲われるかわからない世界に私たちは生きているのです。
経済が動いていれば不幸にして被災することになっても生活を大きな意味で下支えしてくれると思うのです。

とは言うものの原発事故の不手際と天文学的数値の放射能汚染には傍観するしかありません。
ただただおとなしく推移してこれ以上の放射能汚染を出さないで欲しいと願うばかりです。

原発無しには電力需要が賄えないと言われますが、その検証にも原発ビジネス利権が絡んでいるように思ってしまいます。
原発の建設と解体費用を代替エネルギー、新エネルギー開発につぎ込んだほうが良いのではないかと凡人は思うのです。

少なくともトラブルが起こっても直せるものが肝要です。

福島第一原子力発電所

東日本大震災から三週間経ちました。

改めて災害により亡くなられた方々、生活の基盤を失われた方々、そのご家族さまのご不幸に哀悼の意を表したいと思います。

自然の猛威の前に人の文化は非力だと感じさせられました。

この間、口をついて出てしまうのはその圧倒的な自然の猛威よりも東京電力の福島第一原子力発電所のことばかりです。
原子力発電所の対応の酷さは天災が引き起こしたことに契機を持つとしても、もはや人災ではないかと疑わざるを得ない報道を目にするにつけ憤りさえ感じます。

露わになってからその弱点をつつくのは慎むべきことだと思っていましたが、絶対安全だと言い続けてきた側の想定外だから仕方ないとばかりの方便を聞かされると納得し難くなってしまいました。

どのような自然災害が起ころうと原発だけは安全に働き続けて市民生活を守るような案内だったはずなのに、隕石が当たる事案にも対応しろと言われても対象できないから想定外の津波にも対処できないと言われてしまうと原発ビジネスの本質を見せられたように感じます。

事故後丸1日放置して命を脅かす手のつけられない怪物に変わってからも他人事のような釈明を聞くと、もう儲からなくなったので謝って済ますために会見しているのかと勘ぐりたくなります。

CO2問題が長期的に地球環境を悪くすると云われますが、原発事故はその瞬間から半減期の長さを考えても生き物に対する脅威は次元の異なる災いを引き起こすのではないでしょうか?
南太平洋で水爆実験が行われた後の環境変化は今日全く報道されませんが、CO2問題にスポットを当てて「安い」電気を手にして儲けようとする意図があるのかとまで詮索してしまいます。

一度壊れると直せない設備は作ってはいけないことを学ぶべきでしょう。一度配備された核兵器は撤去出来ないことに似たジレンマを抱えていると思います。
人が作り上げた設備や機械は故障と劣化が不可避なのですから原発と核兵器はいつか人類を窮地に追い込むことを示したと言えます。

設計や管理が完全であったとしても経年変化から逃れることは不可能なのです。
今稼動中の設備も明日どうなるのか分かりません。
人の作った機械や設備は動かなくなれば修理して再稼動や再生をすることが可能ですが、核絡みのものは修理不可能であることをもっと考えなければならないと思います。
ローコスト発電という原発の算定に子孫までもの国民の生命財産まで奪うことや社会の混乱、経済の停滞そして安全な解体費用までを入れると釣り合わないように思います。

ただ現場で被爆の危険に曝されながら作業を進めてくださる方々や世界中から駆けつけてくれているエキスパートの方々に期待するのみです。
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