3Dディスプレイ

薄型ハイビジョン3Dテレビの売り上げが好調のようです。
加えて熱心なマニアの減少からオーディオの売り上げは低調だと新聞紙面は続きます。

ここに「音色」にこだわったオーディオの現在があるように思います。
「音色」より音楽を空間として楽しむ心地よさに着地点を持たなかったために関心を無くさせてしまったと思うのです。
「音色」の向上はディスプレイでの平面画面の精細度の向上に近いかも知れません。
画素数の向上は驚きの美しさをもたらしましたが、ヒトにとってはひとつの平面を両目で観ているに過ぎません。

ディスプレイや紙面といった人工物以外は立体的に捉えてヒトは暮らしていますし耳もまた音を空間として捉えて生きてきたのです。

左右の目に映るものの視差を使って頭の中で立体として認識していますから液晶シャッターメガネ無しで見える次世代の裸眼3Dディスプレイは左右の目に視差情報を含む画面が見えるように工夫がされているようです。
オーディオでの左右の耳に届く音を別々に増幅して聴くと奥行きのある立体的な聴こえ方をするのと同じです。

一般のステレオ機器は左右別々に増幅しているようですが、実は共通アースを採用しているために単線で電車を運行しているように、それぞれが反対側の影響下にあるために正確に増幅しているわけではありません。

オーディオもやがて「音色」を「磨き上げ」ても平面的な表現しか得られないことが理解されれば奥行きのある立体的な空間で音楽を楽しめるように進化すると思うのです。
売れる「音色」を求めて平面的な「音像」「音場」を聞き取れることで良しとしている現在のオーディオではますます衰退してしまうのではないでしょうか。

ダイレクトカッティング

オーディオの「音色」に限るとCDと比べてアナログレコードの方が時代の制約から圧縮されているために濃く感じます。
弱音部は強めにして小さな音が針ノイズに埋もれるのを避けながら強音部では音溝から針の飛び出しを防ぐためにダイナミックレンジを圧縮してあります。

スパイスを効かせて煮詰めたような味付けの趣です。
この味の濃さから音楽再生にはアナログレコードの方がデジタルより優るとされる方が多いのだと思います。

アナログレコード時代には不自然な濃さを脱するために45回転ダイレクトカッティング30センチレコード盤でリミッターやコンプレッサーを使わないアナログレコードが作られました。
ただ生楽器のダイナミックレンジをこれ見よがしに訴える為にパーカッションや打楽器を音源とするソフトが多く、演奏よりもサウンド色に軸足があったように思います。

コンプレッサー機器類を使わない自然な収録の流れはCDの登場で回転数を上げたりダイレクトカッティングに頼らずに実現すると思われましたが、逆にデジタル処理を用いてアナログ時代には考えられない多重化やエフェクターを多用する方向でリリースされてより不自然さを増しているように思います。

アナログレコード時代には聴いたことのない凄さをデジタルソースに持ち込んだので、ますますオーディオは不自然になってしまい、経験したことの無い「音色」のあるなしを音質判断としてしまうのではないかと危惧しています。
スタジオにあるモニタースピーカーは洗いざらい聞こえるだけの高精細大音量対応のラージとラジカセクラスでの再生を想定したスモールモニターで音造りされています。
「音色」だけで追い込まれているのでは空間再現は織り込まれず不自然さは増すばかりです。

欧州系のレコード会社がスタジオでなく収録するホールの別室にリスニング用のスピーカーとオーディオ機材を持ち込んで収録に臨んだり、敢えてまったく圧縮機器を排除して収録する日本のジャズレーベルがありますが、自然さゆえに一般化しないほど不自然な音造りに音楽ソフトは毒されているように感じます。

自然に聴こえるのは人間には普通のことなので、自然な録音スタイルに関心を持たないせいかもしれません。
刺激を求めて不自然さを好む性癖を持ったヒトという種にはインパクトに欠けて聴こえるのでしょう。
しかし自然な録音スタイルを採用して小賢しいことをせずに人を惹きつける演奏の再生こそが、リスナーを魅了し音楽はその姿を現すように思います。

オーディオは収録方法を自然な方向にして「売れる」ソフトより「良い演奏」ソフトに軸足を移さないと娯楽にはなりえても安らぎを得るものからは遠ざかっていくように思うのです。

少し極端ですが娯楽は暇つぶしに通じて「音質」を蔑ろにする働きを助長して生き方までもをつまらないものにしてしまうような気がするのです。

じん六

「じん六」は雪の大晦日に年越し蕎麦をいただきに行った蕎麦屋さんの屋号ですが、オーナーの友人は貿易関係の国家資格を持つ才人です。
料理学校出身でもなく「蕎麦屋」で修行したと聞いていません。
彼が体得したのは美味しい蕎麦の育て方、挽き方、打ち方、湯への晒し方そして水の管理を極めたことのように感じます。
開店当初の毎夜2時間の浄水器清掃の様子を覗いた折には鬼気迫るものがありました。
すべての工程に情熱を傾けてお客さまに食していただいて美味しいと感じていただくことに着地点を持って作り上げています。
すべてが前例に倣わない蕎麦の味を極めた独自の方法が生み出す蕎麦は他のどのお店の蕎麦とは次元の異なるものになっています。

目的のために試行錯誤し工夫を重ねてトータルで見極めることこそモノつくりの神髄だと思うのです。
それでもやはり美味しさは個人の嗜好のものであるため自己流と聞くだけで評価しない方もあると聞くと蕎麦とは味なのか肩書きなのかと残念に思うのです。

彼の到達点を極める方法は小生のモノ作りに通じているように感じます。
電子工学を修めずオーディオ販売に携わった経験のなさゆえのあるべき姿への向かい方に似たものを感じるのです。
彼ほどの努力をしているのかと問われると耳が痛いのですが、少なくとも電子工学を学んだ方の作るものは家電品の域を出ていないと聴こえます。

歪み率やSN比の良化は音質を全くと言ってよいほど反映しませんし、人の感性に訴えかけるものは理論的なものを一見排除するところに肝心な部分があるように感じます。
今までの理屈を超えた部分にこそ感情を揺さぶる新しい理屈があると思うのです。

「じん六」の蕎麦が「一流」の手順だけで供されていたなら「一流」を超えることは無かっただろうといただく度に思うのです。

新年

2011年 明けましておめでとうございます。

昨年はお客さまをはじめ色々な方々のご協力で乗り切ることができました。ありがとうございます。

京都は大晦日に雪が積もりました。家の前では10センチほどの積雪があり、さらに降り積もり続けていたので普通タイヤの車では手も足も出ません。
蕎麦屋「じん六」には市バスで行くことにしました。
真っ白になった市内は大晦日で車の通りが少なくとても静かでしたが、不用意な普通タイヤの車がそこかしこで道を塞いでいました。
数分遅れでやって来た市バスも目的地近くで立ち往生した車に阻まれて全く進みません。
お願いして降ろしてもらいました。
歩いて渡る北山橋は20センチほどの積雪で、北山や賀茂川沿いに見える市内はまるで水墨画のようでした。

お昼前にたどり着きましたが駐車場は車がいっぱいでお店の前の軒下にはお客さんが数人並んでいます。
雪で覆われている車ですが、軒下からは車のリアナンバーが見えます。
他府県ナンバーばかりなのは「ミシュラン」効果なのかと考えたり、雪をかぶったこれらの車は無事に道路へ出て帰って行けるのかと思うほどの雪がさらに降り積もる中「お次の方」と呼び込まれて中に入りました。

ここの蕎麦は素晴らしいものですが、ニシン煮の素晴らしさもこのお店の魅力です。
その「ニシン蕎麦」が目の前で品切れになるショックがありましたが、美味しい蕎麦をいただき再び降り積もる雪の中を帰りました。


今年はデュアルコアD/Aコンバーターの良さをより訴えかけられるアンプと昨年からの宿題になっているMOD-1共にまずリリースします。

デュアルコアをはじめとするグラウンドアイソレーションの必然性を訴えるにはシンプルな発想のモノーラルアンプの方が良いと思えてきました。
モノーラルアンプを左右別々に使うステレオの音質とその二台の筐体をクリップコードでつないだ音質とを聴き比べていただこうと思うのです。

アンプ本体はそのままなので「音質」や「音色」はそのままですが音楽としての聴こえ方に雲泥の差があることをお聴き取り願えると思うのです。


テクノクラフトオーディオデザインを本年もよろしくお願いします。
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